「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランお釣りなし」とは?【北川のアレ】

「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」って何? 

……と、近所の小学生に聞かれたため、あのマンガのようなホームランについて、また、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放った北川博敏選手について、備忘録を残します。




代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランとは

代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランとは、2001年大阪近鉄バファローズVSオリックス・ブルーウェーブの26回戦・9回裏に、近鉄の北川博敏選手が代打で登場後に放った満塁ホームランのこと。

北川博敏選手の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン

「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランお釣りなし」など、長文で表記され、情報量が多いので混乱しますが、

  • 代打の選手がホームランでサヨナラ勝ちを決めた
  • 満塁ホームランを放った
  • このホームランにより、近鉄のリーグ優勝が決まった
  • ホームラン前のスコアは2-5で近鉄がビハインド
  • ……からの、満塁ホームラン+4点で逆転
  • 試合結果は5-6。オーバーキルにならず1点のみを勝ち越したため「お釣りなし」

北川選手がサヨナラ勝ちを決める直前のスコア(9回表終了時点でのスコア)は2対5でした。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
オリ 0 0 0 3 1 0 0 0 1 5 8 0
近鉄 1 0 0 0 0 0 1 0 4X 6 11 2

2001年9月26日/大阪ドーム

「北川のアレ」「代打逆転サヨナラ満塁ホームラン」「代打サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」など、いろいろな言い換え、言葉の並びがありますが、総じて同じホームランを指しています。

優勝決定後(試合後)のヒーローインタビューでは「自分でもびっくりしてます」とコメント

マンガのような神展開に、打った本人も驚いたようです。

野球観戦、ありがとう

劇的な展開、劣勢をひっくり返しての逆転勝利、近鉄12年ぶりの優勝、1点のみリードして終わる美しさ――野球ファンの記憶に残り続ける本塁打!

北川選手のホームランを予測していた解説者:佐藤道郎氏

プロ野球OBで解説者の佐藤道郎氏(南海-大洋)は、このときの試合の中継を担当していた際に「北川がホームランを打つんじゃないですか」と予言をしていました。

あのとき俺は、「北川がホームランを打つんじゃないですか。ガツンといかなきゃ話にならないですよ」と中継で話していた
引用:元南海-大洋の佐藤道郎氏の書籍『酔いどれの鉄腕』ベースボール・マガジン社

野球観戦、嬉しい

ホントに打った北川選手モスゴイけど、ホームランを予言する佐藤氏もスゴイ!




「北川博敏」ってどんな選手?

北川博敏選手画像出典:スポニチ

  • 北川博敏(きたがわひろとし)選手
  • 1972年5月27日生まれ。
  • 身長180 cm
  • 体重95 kg

現役時代は、1994年のドラフト会議で阪神タイガースから2位指名(逆指名)を受けて入団しました。

その後、阪神・近鉄・オリックスで捕手や内野手として活躍。

2012年に現役を引退し。現在は、コーチ業などをされています。

選手歴
  • 埼玉県立大宮東高等学校
  • 日本大学
  • 阪神タイガース (1995-2000)
  • 大阪近鉄バファローズ (2001-2004)
  • オリックス・バファローズ (2005-2012)

    出身は兵庫県で、阪神~近鉄~オリックスと、関西圏のチームに縁のある選手です。

    とあるインタビューで「昔は巨人、阪急、近鉄、南海など、強いチームが好きだった。関西に住んでたため」と話していました。

    野球観戦、挨拶

    インタビューではいつもニコニコしているイメージ。北川スマイル。関西系で、トークも面白いです!

    大久保勝信投手との関係

    「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランお釣りなし」を被弾した投手は、当時オリックス・ブルーウェーブの大久保勝信投手です。

    北川選手と大久保投手は、不思議な縁があり、北川選手がプロ野球で初のサヨナラヒットを打ったのも大久保投手からでした。

    北川選手は「大久保から8割は打ってる」と語っていましたが、最終的には二人が同じチーム(オリックス)になるという、これまたミステリアスな関連性があります。

    北川博敏選手の背番号(現役時代)

    背番号 所属球団
    9 1995年 - 2000年 阪神
    46 2001年 - 2004年 近鉄
    23 2005年 - 2012年 オリックス

    北川博敏選手の入団時の背番号は9番でした。(阪神タイガース時代)

    2000年のオフシーズンに、阪神と近鉄で3対3のトレードがあり、その際に背番号46へ変更。
    (翌シーズン2001年に、例のホームランで優勝決定)

    その後、近鉄の球団合併によってオリックスへの所属が決まり、背番号を23に変更となりました。

    野球観戦、解説くん

    近鉄→オリックスになったときの背番号について「いままで46だったから、半分の23でいいやw」と話されていました。

    大けがをしてもプレイを続行する熱い選手!

    2011年6月26日千葉ロッテマリーンズ対オリックス・バファローズの試合中、北川選手は走塁中に大けが(アキレス腱)を傷めてしまいます。

    激痛で立ちあがれず、その場で倒れこむほどの状態……。

    にも関わらず、アウトになるまいと1塁には戻ろうとする姿が痛ましくもかっこよかったです。

    『アクシデント発生』 北川博敏が走塁中の怪我で負傷交代

    奇跡を呼び込む男、北川博敏。実はとっても心優しい選手

    北川博敏選手は、阪神タイガースで入団しましたが、阪神時代の通算成績は6年で打率.138、ホームラン0本と低迷していました。

    トレード移籍で、近鉄に行く際には「せめて息子が大きくなる、息子の記憶に残るくらいまでは野球がしたい」とコメントしています。

    野球選手としてのお父さんの姿を、子供に見せたかったのですね。

    その後、近鉄へ移籍した年の2001年に「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」が記録されたので、お子様の記憶にもしっかり残ったことでしょう。

    イエーイ

    「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」後は、奇跡を呼び込む男として4番打者になりました。

    2004年の球界再編で、大切な近鉄がなくなってしまう悲しい事実に面した際には、

    「このチームで最後までやりたいなというのはあった」

    「(球界再編でのゴタゴタを身をもって体験し)子供たちに、夢を持って頑張れよというのは言いづらい感じがします」

    とコメントしています。

    しかしながら、プロ野球再編問題に面した最中に息子さんが「お父さんみたいなプロ野球選手になりたい」と話し、その言葉でモヤモヤする気持ちが吹っ切れたそう。

    息子さんにカッコイイ野球選手である父の姿を見せるためにも「中途半端な気持ちで野球をするのはやめた」と話していました。

    近鉄 最後の日... 北川博敏 魂の叫び

    最終打席も全球フルスイング

    2012年に現役としてのユニフォームを脱いだ北川選手。

    引退試合の最終打席も、フルスイングで観客の期待に応えました。

    【涙のフルスイング】北川博敏の現役最終打席

    野球観戦、悲しい

    2012年10月7日。全球フルスイング

    その他、北川選手の小ネタ

    • ルーティンとして、グラウンドに入るのは左足からを意識していた時期もあったが「途中からなんかどうでもよくなった」とのこと
    • 試合に勝ったときは、同じ道を通る
    • 目標としていた選手は八木さん、すごいと思った選手は古田さん、とのこと